「AだからBである」の論理について

さて、 少し時間的・精神的余裕が出来たので 懸案の「論理シリーズ第2幕の締め」を やってしまいます。

今までは 「AならばBである」の論理について 説明してきました。 だけど、 日本語の文章の中で使う論理として 「AならばBである」というのは あまり使わないのではないかなって思います。

それより、 「AだからBである」 という「論理」の方が、ずっと使うと思うんですよ。 なので、 今回は 「AだからBである」の論理を 考察していきたいと思います。

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まず、復習から。 「AならばBである」については前に考察した通りですが、 別の角度から、考察してみましょう。 「AならばBである」というのは 「Aが正しいという条件において、  常にBが成り立つ」という意味になりますね。 だから、 「集合【A】が集合【B】に含まれ」ないと いけない訳です。 (含まれてないと、  Aが正しいのにBが正しくない事例が  存在してしまう・・・)

という事を踏まえた上で 次にいきましょう。

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一方 「AだからBである」というのは 「Aが正しい。従ってBも正しい」 という事ですね。 目的として、「Bが正しい」を言いたくて その根拠として「Aが正しい。」と言う。

という事なので、 「論理学」で言うなら 「AだからBである」は、 次のように分解されるんです。

・Aは正しい
・AならばBである
・よってBは正しい

つまり 「AならばBである」というのは 「AだからBである」の論理の中に 使われているんです!

日常であまり使われない 「AならばBである」の論理を ここまで丁寧に考察してきた訳は、 良く使われる「AだからBである」の中にも 含まれている「基本の基本」だから、だったんですね。 (つまり、ここまでの考察は  無駄ではなかったんですよ。)

で、まぁ、 この説明で分かる通り 「AだからBである」の論理をチェックするには
・AならばBである の部分と、
・Aは正しい
の部分の両方をチェックしないといけないんです。 (案外「Aは正しい」の部分のチェックが  忘れがち、なんですよねー。)

・間違った仮定からは何でも証明できてしまう

これは、確か、ラッセルという数学者が 言った事だと思うんですが。 (これを主張したところ  「1+1=2」を仮定して  「あなたがローマ法王である」事を証明しろ  と言われて見事に証明したってエピソードが  あったそうな・・・)

元々 「AならばBである」の論理では 「Aが間違ってる場合」は常に成立する って事になっているんですね。 ですから 「間違った仮定」からは 何でも証明できてしまうって なってしまうんです。

だから、 「AだからBである」において ちゃんと「Aが正しい事」を チェックする事が、 非常に重要なんですよね!

(ですから、  前に例とさせて頂いた件では  「本当に説明不足なのか?」  を考察する必要があると思う。)

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考察については、以上です。 論理シリーズ第2幕は、 一応、これで締めと言う事で。 具体例はほとんど無かったですが、 色々な例に当てはめる事ができると思うので、 使ってみましょう。

第3幕は、いつになるか・・・ 始めにホームページを構想した時に 考えていたネタは、 だいたい出してしまったので。 他にも「数学の論理で重要な事」は あると思いますけども (数学的帰納法、とか、  背理法とか、場合分けとか・・・) まぁ、先に他の解説記事の方を 優先していきたいなって思います。