「国際感覚」とネット感覚

しまったぁ! 「かま騒ぎ」撮るの忘れてたぁ!
・・・ま、良いか。 (色々、気力が萎えています) めたかです。

でも、気力は萎えていますけど、 ネタはホント、溜まっています。 とにかく、なるべく吐き出していきたいと 思います。 (塊については、今日、帰宅したら  まとめて処理します。)

まずは「ネット万歳」って記事から。 炎上について辛辣な事を書くので (ってほどでもないけど) その前に「ネット利用者」に媚を売っておこう ってセコい思惑で(笑)

ま、そんな訳ぁないですが、 そういう話です。

良く「日本人は国際感覚がない」 なんて言われますよね。 それで、 海外経験の多い人とかが 「海外では(普通)こうなんだ」 みたいな事を、言ったりしています。

でもね、 そういう人の言う「海外」って 海外の中でも、ごくごく一部のみって 思うんですよ。 例えば、世界中のたくさんの国の経験があっても、 そういう人って、 それぞれの国の「ある特定の層」ばかりを 経験してる、みたいになってるんじゃないかって。 世界中の国の人を知っている、 と言っても、 それはみんな生物の研究者だった、みたいな感じで。 で、 それは「国の違い」よりも、 どういう層の人か、の違いの方が 大きい場合だって、あると思うし。

1人の人間が経験出来る事って やっぱり限界があるって思うんですよ。 特に、世界って広くって しかも、様々な事があるのに (日本では、割と均一な社会って言われてるけど、  そんな国は珍しいって言えるかもしれないし) その「狭い経験」だけで 分かったような事を言うって 何か、違うって思うんです。

だから、私は思うんですよ。 本当の意味での「国際感覚」って 世界にはホント、色々な事があり、色々な人が居て 自分の知っている事など、 そのごくごく一部にすぎないって事を ちゃんと実感を持って「分かっているか」 って事じゃないかって。 その多様さを認める事なんじゃ、ないかって。

って事を考えた時に、 ネットって、そういう「感覚」を 身につけるのには、非常に良い場所じゃないかって 思うんです。

と言っても、ですねぇ。 それには「条件」があると思う。 それは、「多様な意見」に触れ合おうとする事。

ネットにはホント、色々な場所があって、 色々な意見が溢れています。 でも、 多くの人は「自分にあった所」のみを 見ている、参加してるんじゃないかって思うんです。

それじゃぁ、「国際感覚」ってふうには いかないだろうなって。 そうではなく 多様な意見に触れ、ぶつかり合っていく中で 「国際感覚」ってのが身に付いていくんじゃないか って思うんです。 だから 「ネット」をそういうふうに使っていけば 良いんじゃないかなって・・・