クイック書評・花を売らない花売り娘の物語

短い書評シリーズ、一発目は 本来なら『秋のビジネス書・書評シリーズ』 でラストに取り上げる予定だった本です。 なので、 当然、強くオススメな一冊です。


花を売らない花売り娘の物語


花を売らない花売り娘の物語 High-Touch Contact with Customers (ペーパーバックス)

花を売らない花売り娘の物語 High-Touch Contact with Customers (ペーパーバックス)


人って基本的に 「より良き未来」を希望するものだ、と思う。 諦めたり絶望してる事はあっても 心のどっかで「より良き未来」を 希望してるんじゃないでしょうか。 もっとも、 その「より良き未来」ってのが人によって異なるから 色々な衝突なんかがあるんですけども。


この本の著者は、 IBMマーケティング部門で働いていた マーケティングの専門家です。 なので、この本も マーケティングの歴史から「これからのマーケティング」 という流れを解説している本です。


でも この本は、マーケティングの進む方向を 分析し解説している本というより マーケティングを通して、 著者が見ている「未来像」を語った本だと私は思う。 「分析の本」ではなく「志の本」 と言うべきじゃないでしょうか。


でも この本を読むと、それは必然じゃないか、とも思う。 なぜなら マーケティングとは、あくまで「お客さん」を 扱うものだから。 「お客さん」は、自分が「良いもの」と思えないものに お金なんて払わない、でしょう。 そういったものを集めた集合たるマーケティングは 人々の「未来への希望」というものを 投射したものになるはず、だから。


その上で この本が素晴らしいと私が思うのは 人々の「未来の希望」を分析しよう、とするのではなく 自分から「未来の希望」を提示している姿勢です。


そう。 「誰か」が考えてる事を探るよりも 「自分が」思う事を提示する方が はるかに大変だし、しかも尊いものじゃないか と思うんです。 (また、その提示している事にも  共感するところが大ですし。  というか、  私がこのブログで訴えてきた事と  共通する部分も多いと思います。)


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ちょこっと雑記加えて

今日はなんとか「アンフェア」までに帰ってこれました。
昨日は「西遊記」に間に合わなかったんですけども。
「アンフェア」と言えば、先週観て書いた『ドラマ「アンフェア」はメタ「サスペンスドラマ」か?』ですが、ホントその通りになってきてるなぁって感想です。犯人、私の予想した通りだったし。あと最後の「今後への伏線」へも・・・

また書評、書いていきます

アマゾンの不具合も直ったようですので これから書評をいっぱい書いてく予定です。


また 年の初めに「文を簡潔にする」宣言をしたので 書評でも同じ挑戦をします。 書評は書きたい内容が多いので 良い練習になりそうです。 (また、最近短く書けてないし。)


今、読んでいるのは 『甲子園への遺言』という本。 おりがみさんの記事を読んで読みたい と思っていた本でした。 まだ私は読んでる途中ですので、 どういう本かは、おりがみさんの記事を。 きっと、読みたいと思う事でしょう。


え? こんなんで「短い」のは反則?

ドラマ「アンフェア」はメタ「サスペンスドラマ」か?

今クルーのドラマでは 『アンフェア』と『時効警察』の2つ (あと、たまに『西遊記』) を観てるんですが、 『アンフェア』が実は結構「メタ」なドラマなんじゃないかなぁ と思ったので、記事にしてみます。


ネタバレ的な事は書くつもりはなくて、 どんなドラマかは公式ページで観て頂くとして、 私がひっかかったのは・・・


まず 「推理小説/サスペンスドラマ」という括りが有り その「推理小説」に対して 「フェア」か「アンフェア」か、 という評価があるんですよね。 「フェアなドラマ」というのは ちゃんと読者・視聴者に犯人が分かる 手がかりを与えていて それらの手がかりから犯人を「推理」する事ができる そういうドラマという事です。 逆に「アンフェアなドラマ」というのは 読者・視聴者に 「推理に必要な情報が与えられていないドラマ」 という事になりますね。 なので 「アンフェアなドラマ」は 読者や視聴者から抗議される訳です。


こういう 「ドラマ・小説がフェアかどうか」という評価は ドラマというものを「メタ」な視点から 観ているものと言える訳ですね。


それで、 「推理小説がフェアかアンフェアか」 という事が、 ドラマの中で言及・説明されてる訳ですよ。 そうなると それを観ている視聴者は 「このドラマはフェアかアンフェアか」 って見方も、するようになりますよねー。 なにせ このドラマのタイトル自体 「アンフェア」 って言うんですから。


当然、作り手側も そういう「観られ方」をする事は分かっていて 想定して話を作っている訳ですよね。 つまり 読み手の(メタな)「見方」を取り込んで 作っているだろう、と。


かなり、複雑な「自己言及」の輪が 出来ている そういう面白いドラマだなぁって思いました。


それ以外でも ドラマの中に、色々と細かな 「メタと自己言及の輪」が散見していまして。 今、起こってる「事件」自体が 「予告殺人小説」という 「メタ仕掛け」の設定になっていて そこに色々な台詞をひっかけて、 そこで出来る「メタな見立て」を 取り込んだり、裏切ったりしながら ドラマが進んでいくって形になっているようです。 (推定にしているのは  まだドラマは始まったばかりで  どう進むか分からないから、ですよ)


最近の推理小説って全く読んでなかった んですけど 今の推理小説って、こんなメタな事を やってるんですかねー。 それとも、この小説が特殊なのかな? ま、ともかく 楽しみに観る事にします。 (ちゃんと全回、観る事ができるか  分からないんですけどね・・・)

堀江氏逮捕について雑感

堀江氏逮捕について、 取り立てて論じようというのではなくて、 目に留まった記事を紹介しながら いくつか思う所を書こう、というものです。


まず、野球ファンとしては、 H5さんさいんさん始め何人も指摘してる通り 「たとえライブドアがホントに悪かったとしても  それで去年の合併を正当化する事にはならない」 という事は、指摘しておきましょう。


それで・・・



「正義」のコスト


私は、職業柄、この種の事案では、 いつも「もし自分が代理していたら」 ということを考えます。   (中略) 今回のような日本の捜査のやり方の下では、 ほとんど「防御」の余地はないことに気付き・・・ そして、暗澹たる気持ちになっていきました。


確かに、 「何が違法だったのか」が 未だに具体的に分かりにくいですし、 その釈明や反論がやりにくい状況ですよね。


私は ライブドア的な価値観が良いとは思ってない、 そういう価値観が主流になっちゃうと 「棲みにくい世の中」だと思うけど 「良く分からない容疑で逮捕される世の中」 の方が、より「棲みにくい世の中」だって 思っちゃいますね。


併せて指摘したいのが、次の記事です。
東京地検特捜部の「劇場捜査」ここに極まれり


確かに 今回の捜査は「劇場型捜査」ですよねー。 また、 「意図的なリーク」によって マスコミが「推定無罪」の原則をなし崩しに してしまってる事も同意です。


この辺りの危惧については、 ブログでは色々と出てきたようです。 例えば、finalvent氏なんかも、こんな感じで。
ホリエモン、逮捕
イチネタ なにがホリエモンの犯罪なのか


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視点をぐっと変えましょう。 いつもお世話になっている小島さんの記事より。 (あぁ、やっぱり社長さんなんだなって記事です。)


ライブドアの一連の騒動について思うこと


他の事 (L社・関連企業の社員の気持ちを慮る事、  「お金を稼ぐ」には必ず相手がいる、という事) も重要だと思います。 でも、特にこの記事で取り上げたいのは次の事。

そして、ある程度、騒ぎが収束した段階で、 今回の疑惑がなぜ起こったのか について考え直すべきです。 私は、堀江氏の錬金術やマーケットの抜け穴 といったものではなく、 企業統治」がなされていたなかった、 一部の幹部だけで意思決定され、 社外等の外部からの監視が無かったことが 今回の疑惑、あるいは様々な手法を可能にした 根幹だと私は考えます。
(強調は私が行っています。)


これは、 マンションの偽装問題でも同じ事ですが こういう「事件」が起こった際に その原因となる「構造問題」がないか、 という事を見つめなければイケナイと思うんですよ。 (参考・審査会社のビジネスモデル


そういう視点なら、 少し古いですが、この記事を。
ライブドア死すともデイトレは死なず


デイトレ投資家に最適化するような  行動を取る企業が出てくる  日本の証券市場の構造をどうにかしろよ」 ということなんじゃないのか。   (中略) これって誰のせいかと言われれば、 長期保有株主をコケにしまくってきた NTTを初めとする日本の伝統的大企業の 資本政策のせいであり、 また投資家の長期的利益を尊重した経営を するように大企業に株式市場を通じた圧力を かけてこなかった「ぬるま湯の創造者」 たる年金基金投資信託といった 大口機関投資家のせいである。 つまり構造的な問題なのですよ。


また、 「経営の健全性」とか「外部監査」という点では 次の2つの記事。
フジテレビのデューデリジェンスの責任
フジからの社外取締役は仕事をしていたのだろうか?


あと、はてな梅田氏の次の記事も。
「ネット社会、時計の針戻すな」


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「社会の問題」についてはこの辺にして 「個人の生き方」という観点で。 同じく梅田氏の記事。
堀江社長逮捕についての短い感想


ビジネスの世界というのは、 「普通の人」が「ごく普通の常識の範囲」で 「普通の度胸」で、 冒険したり挑戦したりできる場である。


という事ですね。 あと、コメント欄の指摘も重要だと思います。


次ははては近藤社長
夢の力


梅田さんと同じ方向の記事だと思いました。


次は、一番「良い話だなぁ」と思った記事です。
走り続けた人・・・


いつかもう一度、『ペースダウン』を 覚えた彼と再会したいものです。


この部分、ぐっと来ますね。 SACの人にとっては、堀江氏は 「ホリエモン」という偶像ではなく 一人の人間だったって感じる文章です。 なんか、すごく体温を感じますね。


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夕刊フジのDQN記事で裕木奈江を思い出した

夕刊フジが「下品だ」という事は このブログで何度か書いてますし なので、このブログ的には「決定事項」であり 改めて強調するまでもない事ですが。


でも、 ヤフーのトップページで 夕刊フジの反吐が出そうなくらい 下品な記事が紹介されていたんですよねー。 (ヤフーもなぁ・・・)


「女に嫌われる女」裕木奈江、国費でギリシャへ


記事タイトルからし悪意丸出しの下品な記事なんですが (だいたい、今更、裕木奈江を叩いて  どうしようというんだ?) 内容も酷くて・・・ いくらでもツッコミ所のある記事ですが とりあえず
・「女優」を芸術家と言えない、なんて  大衆芸能を差別している考え方じゃないか?
ギリシャだから「遊びだろう」ってイメージって  ギリシャに対して失礼だろう。 (「フジヤマゲイシャ」のイメージで日本を見て  「日本に留学なんて遊びじゃないか」なんて  言われたら日本人として怒らないか?)


くらいを指摘しておけば良いでしょう。 (あと、作家とか自称してる『麻生千晶』  という名前も、ここで晒しておきます。)


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まぁ、夕刊フジ批判はこれくらいにして 裕木奈江さんです。 実は、女優さんとしての印象は それほどないんですよね。 ただ なんか「不自然な売れ方」をして 「不自然な消え方」をした人だって印象があります。


売れたのは、 突然、ドラマの主役に抜擢されたから、 だったと思います。 原作が『極東セレナーデ』という 朝日新聞で連載されていた とても面白い小説でした。 話自体が 「無名の女の子をスターに仕立て上げる」 という話だったので 当時、無名だった(と思う)裕木奈江さんが 抜擢されて、このドラマでスターダムに上がった んだったと思います。


で、 「消えた」のは、「ポケベルが鳴らなくて」 というドラマで不倫の役をやったから。 その役があまりにハマっていたため 「彼氏を寝取られそう」 とか変な言いがかりとも言うべき理由で 「女に嫌われる女優」 と言うレッテルを貼られ、 女性顧客を失いたくないメディアで 全く使われなくなってしまった・・・


しかし、考えてみても変な話なんですよね。 実際に不倫をした訳じゃなくて 単にドラマでそういう役をやっただけなのに メディアでバッシング記事を沢山書かれ 呼応するようにテレビで使われなくなる・・・


なんかね、 「げーのーかいのドン」みたいな人に 睨まれたんじゃないかって 思わせるくらい 不自然な消え方だったと思います。


それ以来、 メディアでは殆ど見かけなかった (数年前に結婚報道があった記憶が。) で、久しぶりがこれかい? (・・・なんか  「未だにドンは許してないんか?」  って思わせる記事ですわなぁ。)


と、一般的な復習は良いんですが。 それより 個人的な裕木奈江の思い出と言えば 「裕木奈江オールナイトニッポン」なんですよ。

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