人を殺してはイケナイ理由

今、日テレでやってるテレビで 若い女の子が何人も 「殺人は悪い事じゃない、アリだ」 と言ってるんですよね。


前にも、似たような番組で 「殺人は悪くない」とか言ってる人間が居て その時にも思った事なんですが・・・


なぜ「殺人はイケナイのか」 について、説得力のある理由を言えない って事もあるかもしれないなぁって 思ったので、 それを、ちゃんと書こうと思います。


まず、今テレビで 「殺人は悪くない」なんて言ってる人に 言いたいんですよ。 テレビのような公共の場で 殺人を肯定する事を公言するって もの凄い「怖い」事なんですよって。 それはですね、 下手したら、社会からハブられるよって意味で。


だって 「殺人が悪くない」と思ってる人間と 例えば、一緒に仕事なんて出来ないですよ。 なぜなら 一緒に仕事をしていたなら、 お互いにイヤな事だって言い合わないとイケナイ事も ある訳です。 そうじゃないと仕事を進めていけない。 なのに、 それで「腹が立った」からって殺して良い なんて人間とは、仕事が出来ないでしょう。


分かります? つまり 「殺人を悪いと思ってる人間」同士でないと 社会を一緒に構成する事が出来ない と思うんです。


だからね、 私が会社の採用担当だったなら 「殺人は悪くない」と言ってる人間なんて 絶対に採用しないし 会社の採用担当にも、 そういう人間を採用するのは勘弁してくれ と思う。


また オウムなんかを地域社会が「出て行け」 と受け入れないのも 殺人を肯定するような教義を持ってる集団と 一緒に地域社会を構成なんて出来っこない って事でしょう。 (受け入れ拒否の是非はあるでしょうけど  感情的には理解できるのは、  そういう事だと私は思っています。)


でも 「殺人がイケナイ」なんて もう理屈じゃ、ないですよね。 私自身、殺人って事に 生理的に言いようがない「嫌悪感」がある。 だから たとえ、人をもの凄く憎んだとしても その人を殺すって事に無茶苦茶でかい抵抗感がある。


多くの人って、 そうじゃないのかなぁ? そう思ってるんだけど。 そう願ってるんだけど。


そして、自分をそのように育ててくれた 親とか、周りの人たちに 感謝、していますね。 理屈じゃなく、殺人を嫌悪するように 育ててくれた人たちに。

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ただ、番組を観てると 「殺人を悪くない」と言ってる子たちって 自分の命自体を、大切に思ってない みたいですよね。 そういう子たちに 「殺人を悪いと思ってない人とは  一緒に社会を構成できないんだ」 と言うのは、 理屈としては正しくても いや、正しいからこそ、逆に残酷かもしれない って思いました。 つまり 私(たち)はあなた(たち)とは違うんですよ と、拒絶するような意見ですから。


だからこそ 「命の重さ、大切さ」を説く って事なんでしょうけども・・・