「無断リンク禁止」と「祭り・炎上」の微妙な関係

(この記事の概要)
・「無断リンク禁止問題」については  前に書いた記事で言い尽くしている。  要するに無断リンク禁止」は  お願いでしかない
・「祭り」を恐れる心と  「無断リンクを恐れる心」には  共通の部分があると思う
・自分に向けられた無数の悪意に  収拾がつかなくなる事を恐れているのでは?
・この認識が  「無断リンク禁止と言ってる人」との  対話の出発点にならないだろうか?

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一番搾りのCMの男の人って 桜井さん(ex真心ブラザーズ)ですよね? どうも、めたかです。

昨日、「祭り」について書いた事で ちょっと関係ない事なんですが 見えてきた事があるんですよ。

それは「無断リンク」の事。

無断リンクに対しては 前に書いた記事で、自分としては言い尽くしてる って思っています。 要するに 「『無断リンク禁止』は  実際に『禁止』なんてできない以上  『お願い』でしかない」 というのが結論ですね。 (それ以上については  リンク先を見て下さい。)

それで話は終わっているんですが ただ それでも「無断リンク禁止」って言ってる人に 自分が、どう対処していくのかって問題は 別の話でもあると思うんですね。

その「別の問題」を考えるには 「無断リンク禁止」って言ってる人が いったいどういう気持ちで言ってるのか を理解する必要があるかなぁって思っていまして。

それがね、ちょっと見えたように 思えたんですよ。

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「祭り」というのを こういう形で取り上げてる人間として 自分が「祭り」や「炎上」の対象にされるって やっぱりイヤですよね。 というか はっきり言えば「恐れている」と言えるでしょう。

無断リンク禁止」と言ってる人たちって これに似たような「恐れ」ってのが あるんじゃないかって思ったんですよ。

要するに 「無断で」悪意あるリンクがされる事によって 沢山の人が、悪意をもって見に来て 色々と悪意のある反論とか意見とかを書いてきて 自分では収集付かなくなる・・・

みたいな事を、恐れてるのかなぁって。

その気持ちは、理解できます。

いえ 様々な事象に対する捉え方とか どの程度を許容範囲とするか、 みたいな事なんかには 大きな違いはあるとは思うんですけども。

でも 「自分に向けられる無数の悪意に収拾付かなくなる」 って事への恐怖感って点では 共通する部分は、あるんじゃないかって。 (祭りや炎上って、  実際にやられた事のダメージも大きいですが  それと同時に  自分に対し無数の悪意が向けられたって事に  やられてしまうんじゃないかって思う。)

だとするなら この認識が、 「無断リンク禁止と言ってる人に  どう対応していくか」 って問題を考える上での、出発点になる と思ったんです。

えっと ここで唐突に、この記事は終わります(笑) 今日、他に書きたい記事がありますので・・・ (まず別館なんですが、  時間があれば本館の記事ももう1つ) この続きは、明日か明後日くらいにでも 書きたいと思います。 (って、実は下書き状態で  4つくらい記事が眠ってたりするんですが(苦笑)) ま、続きがなくても ここまででも1つの示唆にはなってます、よね?