治験の仕組みってこうなってる(生命倫理特集「治験について」)

今回は、治験のシステムについての話をします。 この特集、『特集・治験』と銘打ってるハズなのに 今まで全く治験の話が出てきませんでしたね。 それって、どうなの? って思っていた方も おられたかもしれません。 今回の話を、本当なら最初にするべきだって。

これまで治験の話をしてこなかったのには 訳があるんです。 それは、1つには、 特集の説明の所でも書いたように 治験だけの話をするつもりじゃないってのがあります。 「治験だけでなく、生命倫理全体に関わる話がしたい」 というのが、この特集の狙いですので。

もう1つの理由は、ですねぇ。 実は、治験のシステムについての情報提供は、 ネット上にも、既にいくつもあるんですよ。 Yahoo! のカテゴリを見ると 製薬企業が説明しているものや、 Yahoo! 自体が作っているページも紹介されています。 そういうものと、一線を画したい、 というのがあるんです。

製薬企業さんなどが、こういう情報提供をすることは 意味あることだって思います。 ただ、その「動機」というものを考えると、 「治験への理解を求めたい」 とか 「治験に参加する人が増えて欲しい」 というものだって思うんです。 そういう「動機」を否定するつもりはありません。 製薬企業さんにとっては重要な問題でしょうから。 でも、 そんな「動機」で情報提供をする場合、 どうしても、治験に「理解を示してもらう」ためには 都合の悪いこととか、誤解を招きそうな事は ぼやかしてしまうって思うんです。 (現に、そうなってしまっているって私は思う。)

私は、そういう事はしたくはないって思っています。 だから、 今回、治験について説明していく事で ひょっとすると、治験に参加しようという人は 減ってしまうかもしれないって、思っています。 それは、ある意味では「困ったこと」ではあるんですね。

それでなくても 日本人は治験に参加しようという人が少ないそうなんです。 だから、 現在の日本では、治験がだんだん行われなくなっていて その対策が真剣に考えられている事も知っていますし、 その重要性も、私は理解しています。 しかし、 多くの人たちに治験に参加してもらう事が 本当に「良いこと」なのか? というのに、私は自信が持てないんです。

よくあるんですよね。 「一緒に考えましょう」と言いつつ、 特定の答えが既にあって、 そこに誘導しようってしているものが。 「メディアリテラシー」なんてものを このブログでたくさん書いてきた私としては、 そういう事はしたくないし、族担したくもないんです。 (だから、私のこの文章も、  そういうものになってないか  ちょっと疑いつつ読んで頂きたいんです。)

もちろん、 私は「分からない」とは言っていますが、 自分なりの「意見」というのは、持っていますよ。 でも、 それが「正しい」とは限らないって思っているんです。 今後、色々な事で、その「意見」が変わるだろうし、 また、それが万人にとって「正しいもの」でも ありえないだろうと思うんです。

だから、 私自身は、私の知っている情報を提供して 読んでいる人に、考えてもらう「材料」に してもらいたいなって思っています。 なので、 そういうものとして、読んで下されれば 嬉しいです。

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「治験」とは何か、 堅い言葉で定義すれば 「開発途中の薬が人間にとってどういう影響があるか、  本当に効果があるかどうか、などについて  実際に人間に投与して調べること」 となります。

まどろっこしいですね。 ぶっちゃけて言えば、 治験とは要するに人体実験」です。

こんな事を言えば 何か物凄く悪い事のように思われるかもしれません。 何か、ショッカーのような悪の組織がやること みたいに感じた方も、おられる事でしょう。 それだけ「人体実験」という言葉はショッキングです。

ただ、 「物凄く悪い事のように感じる」というのを 強く否定はできないって思うんです。 だって、 いくら触りの良い言葉で言いくるめたとしても 人間にどんな影響があるか分からないものを 誰かに飲ませて調べる訳ですから、 それは「人体実験」に変わりはない訳です。

ただ、そんなに大層に考えなくても良いかもしれません。 こんなふうに考える事は、どうでしょう。 例えば、 雑誌なんかで新しいダイエット法が紹介されていました。 それって、ホントに効果があるの? なんて疑問に思っていた時に 身近な人が、そのダイエット法を試したとすれば 「どうだった?」って聞くと思うんです。 または 誰か知ってる人が、その新しいダイエット法を 試してくれないかな なんて思う人も、居るかもしれません。 これって 「身近な人を実験台にして効果を試している」 って、言えるかもしれないでしょう?

ダイエット法でなくても、 他にも、花粉症に何が効くか、みたいな話でも こういう事、多いと思うんですね。 逆に 「自分を実験台にして」色々なものを試して 周りに人に、その結果を色々話す って人も、いっぱい居ますよね。

そういう、カジュアルな意味での「人体実験」なら 結構、気軽に行われていると思うんですよ。

それを、もっと系統的に行うのが 「治験」だって、言えるでしょう。 また、前回も話したように、 漢方薬って、長い長い人体実験の蓄積の結果って 考える事ができますね。

そういう意味で、 それほど大げさに怖がる事でもないかもしれません。 だけど、 なんだかんだ言っても「人体実験」である事には 代わりはないとも言えるでしょう。

ですから、 ここが重要なポイントなんですが、 「実験台」にされる人間の 人権が守られる必要があるんです。

先に述べた「カジュアルな人体実験」では 自分の意志で、そういう「実験」をやってる訳ですよね。 だから、 イヤなら辞めれば良いし、 ヤバイと思えば止める事もできる。 無理矢理にさせられたなら、 つまり「お前、アレが効果があるかどうか試せ」 なんて強要されたら イヤですし、問題ありますよね。

自分で自分を実験台にして、ちょっと試してみるのと 自分が「実験台」にされるのとでは 大きな違いがありますでしょ。 だから、 「実験台」にされる人の人権が守られる事が、 何より大切な事なんです。 「実験台の人」が、自分の自由意志で 参加したり辞めたりできるって事は 「人権が守られる」という1つのポイントでしょう。

という事で、 治験のシステムについて 1つ目の重要なポイントは 「人権が守られるためのシステム」である という事なんです。 色々な、七面倒くさいシステムは、 基本的に、治験者(つまり実験台の人)の人権を守るために 用意されているものと言えるんですね。

例えば、 1回目で説明した「インフォームド・コンセント」は 治験者の人権を守るために、考えられた事なんですね。 「インフォームド・コンセント」は 歴史的にも、治験から始まったものなんです。

ただ、 1つ、重要点がありまして、 治験では「書面による」インフォームド・コンセントが 義務づけられているんです。 単に「口頭」で行うだけなら 「言った/言わない」に なってしまう可能性もあるでしょう。 だから、 ちゃんと「書面で意志を表明する」事が 必要とされているんですね。 これがないと、治験として認められないんです。 それで調べた薬が、国に承認されないってなるんです。

そう、ここで、 治験のシステムについての2つ目の重要ポイントが 出てきました。 それら「承認されない」という事。

つまり、 「薬」というのは、国から承認されないと 売ったり使ったりすることができないものなんですね。 そして、 新しい薬を国に承認してもらうために 必要なこと、 それが「治験」なんです。

「治験」についてのポイントの2つ目は 治験は、調べるための実験、だけではなく 国に認めてもらうための実験である という事です。

薬は、命に関わるものであります。 また、 それだけ、危険なモノでもあるんでしたね。 そして、 もう一つ、薬には 「国民保険料」という「公的なお金」が 使われるものでもあるんですね。 病院で治療を受けたり 薬を処方してもらったならば 「健康保険証」を持っていくと 「3割負担」で良かったんですよね。 (そして、残り7割は保険料から支払われます。) つまり、 病院の薬って、公的なお金で買われる物だ って言える訳です。

だから、 どれだけ良い薬だとしても、 「国の許可」のない薬は販売もできませんし、 医者が使う(処方する)事も、できません。 ちゃんと、国が決めた手続きを経て 承認されたものだけが「薬」と認められるのです。 その為に必要な手続きの1つが「治験」なのです。

治験は、「国に認めてもらうための実験」ですから 国によって、厳格に決められた手順で 進めないといけません。 イイカゲンにすると、認められないですし、 当然、人権にちゃんと配慮していない実験をしても 認めてもらえなくなります。

そうやって、厳重に管理されているのが 「薬」の世界なんですね。 それは、前回に述べたように 「毒」にもなり得る、リスクのあるモノであり 命にも関わるものだから、なんです。

だから、 昨年(2004年)、ドンキホーテが薬を扱う時に 厚生労働省が「待った」をかけた事が 大きく批判されたのですが、 私は、それは一方的な批判だと思っていました。 というのは、 それだけ「薬」というのは、厳重に管理されるべきもの だからです。 (逆に、ちゃんと管理されていなかったなら  国に「管理責任」が問われる事になるもの、でしょうし。) もっとも、だから「認めるべきじゃない」 って言いたい訳ではないんです。 そうではなく、「慎重さ」は必要じゃないかって 思うんです。 (だから、  実際に「テレビモニタ」を介した場合  どういう問題点が出るか、を検討するとか  限定的に、試験的な認可を与え  一定時間後に改めて検討する、などの処置を  取るべきって考え方も、できると思う。  もっとも、  しばらくして全面的に認めたそうですけどね。)

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さて、 ここからは、実際の「治験のシステム」について 説明しておこうと思います。 ここまで、長かったですねぇ(笑) でも、 「実際のシステム」について知ることよりも、 「背景」について知ることの方が 普通の人にとっては、ずっとずっと重要だと私は思います。 それで、 「背景」に関しては、もう充分に説明してきましたので もう、ここから下の文章は、 読んで頂かなくても良いってくらいに思っているんです。 (ここまで長かったですしね(笑))

・・・という事で 「実際のシステム」に関して、 簡単に紹介したいと思います。

まず、 最初に強調しておきますのは、 実際に「治験」を行う前に、 動物で、その薬について実験を行っている という事です。 それで、どれくらい効き目があるか、 とか どんな副作用、危険性があるか、 などについて、 充分に調べているんです。 その結果、充分に効き目があって、危険性も少ない というものだけが、 「治験」の段階に進んできているんですね。

ですから、 「人間に対して薬が効くか、危なくないか調べる」 と聞くと、すごく怖い気がしますけど、 その前に、何種類かの動物で ちゃんと効く事とか、危なくない事とかは 確認されているって事は、強調しておきます。 (そりゃ、そうですよね、  そうじゃないものを、  いきなり人間相手に調べたり、しないよねぇ。)

で、治験というのは3段階で行われます。 それぞれの段階を 第1相、第2相、第3相と呼んでいます。 (実際には数字はローマ数字です。  文字化けの問題があるので、  この記事では算用数字で代用しますね。)

第1相では、 健康な人に、その薬を服用してもらいます。 それで、 どのような影響があるか、を調べるんです。 (アルバイトなんかで募集されているものは、  この段階のものだと思われます。  これ以孫は、病気の人が対象になりますから。)

まず、 最も重視して調べられるのが、副作用についてです。 前にも言いましたように 「薬」には、どうしても「リスク」がありますので どれくらい「危ないモノか」を あらかじめ知っておかないと、 その後の治験についても、 また、実際にその薬を使う段になっても、 「どれくらいなら大丈夫か」が分からないって事に なってしまいます。

もちろん、 先ほど強調したように、 その前に、動物相手に、どれくらいの「危険」があるか、 は、充分に調べられています。 でも、それはあくまで動物の話であり、 人間には人間独自の問題があるかもしれないでしょう。 それについては、 実際に人間に服用してもらわないと、 分からないんです。

これは、非常に重要な事ではあるんですが、 でも、ある意味では「危ない」実験でもありますよね。 (もっとも、ホントに危険な可能性は小さいですが、  全くない訳では、ない・・・) なので、この実験は、非常に慎重に、 「恐る恐る」といった感じで進められます。 (具体的に言えば、  非常に少量、絶対に危なくはないくらいの量を  始めに服用してもらい、  それで影響が全くみられない事を確認してから、  少しずつ量を増やしていく。  それで、少しでも影響がみられたら、  その時点で実験を終了する。)

という事ですので この段階のテストでは、健康な人に限られます。 病気の人は、体が弱っている訳ですから、 「わずかな影響」でも与えない方が良い、 という事なんです。 (ただし、例外はいくつかあります。  ここでは例外については割愛して進みます。)

また、 第1相では、副作用以外でも、 「与えた後に、その薬の血中濃度がどのように変化するか」 とか 「尿などに、どれくらい排出されるか」 などについても調べられます。 そのデータも、 病気に対して、どれくらいの量をどれくらいの頻度で 投与するか、を決めるのに重要なんですね。

第2相は、前期と後期に分かれます。 前期では、実際に病気の人に薬を与えて効果を調べます。 その際に、 いくつかの方法、量や頻度で投与して、 どう投与するのが最も効果的で、副作用の影響も小さいか つまり、「その薬の使い方」を決めます。 薬は、使い方によって効果や副作用の出方は異なりますので、 この段階は、薬の命運を決める上で ある意味、最も重要な段階と言えるかもしれません。 後期では、 前期で決めた方法で、実際にテストし、 効果がある事を確認してやります。

第3相は、 「治験の本番」とも言える段階です。 ・山の病気の人に対してテストを行い、 その効果を科学的に検証します。 多くの人に対して行う必要がありますし、 「2重盲験」という科学的に厳密な手法が用いられます。 (2重盲験については、  次回に詳細に説明する予定です。)

以上が、治験の実際の段階についで、です。 それぞれの段階について、 問題が生じれば、先に進むことができません。 最悪の場合は中止になり、 その薬は永遠に葬り去られる事になります。 そうやって 慎重に確認しながら進める仕組みになっているんです。

なので、 新しい薬を作るには、非常に時間がかかるんです。 一般に、10年くらいかかると言われています。 その中で「一番時間がかかる」のが この、治験の過程なんですね。 これだけ慎重に進めないといけないものなら、 確かに時間がかかるのは仕方がないでしょう。

実は、 日本でこのようなシステムが整えられたのは 最近なんだそうです。 昔の治験は、問題が多かったと言われています。 インフォームド・コンセントなどの 「治験者の人権への配慮」も 当然、足りなかったようですし、 効果についても、科学的な検証とは 言い難いものだったようです。 (実際にどうだったかは知りませんが、  少なくとも義務づけられてはいなかった。) でも、 今は、ちゃんとした制度になって システムとして、人権が守られるようになっています。

と、書いていますが、 実は、この「システム」は、完全ではありません。 治験には、根本的な問題が、あるんです。

という話を、次回とその次とでやります。 (それは、非常に重い話ですので、  今から気が重いです・・・)